編集部ブログ

2020.05.04

森上逍遥先生最新刊『タオと宇宙原理』序章その2

 あなたは、夢を覚えている方ですか。ファンタジー、スペクタクル、アドベンチャーの要素がつまった夢や、日常の延長の夢、何かから必死に逃げている夢、あてどもなく移動している夢、目覚めて考えると矛盾だらけなのに、夢の中では当たり前に受け入れている…夢とは、とても不思議なものです。

 そもそも、現実と夢との違いな何なのでしょうか…。

 森上逍遥先生の最新刊『タオと宇宙原理』「序章」の続きをご紹介します。(お名前の表記が変わりました。)

◆夢は現実か現実は夢か

 2019年の春4月、思いもよらない不可思議な体験をさせられることになった。筆者は毎朝、夢日誌を付けているのだが、この日だけは特別だった。いつものことながら夢の中では客体としての自己を見続ける習慣がありいつも通りに展開していたのだが、途中で、いつもなら夢と認識しているはずの夢の中が、夢ではないことに気付いたのである。夢には奇想天外といったいくつかの特徴がある。大きく言えば現実との違和感がある。だからいつもはそれが夢であることを認識しながら夢を見続け、嫌な展開になるとそこから抜け出すことにしているのである。要するに目覚めることが大半だが、場合によっては違うイメージへとワープしてしまう事もある。そういう意味において著者はかなり夢をコントロールできるという事になる。だからと言って見たい夢を観ようとは思わない。自身の深層意識を分析する目的が大きいことと、深層意識による何らかの示唆を尊重しているからである。

 どう見ても、微塵の疑いもなく現実の今に私は存在していることを確認した。今のこの瞬間と全く同じ世界であった。いつもの日常のありのままの自分、何らの違和感のない視覚世界、微塵の狂いもない現実がそこには存在していた。何一つ非現実の事象は見当たらなかった。いつもならすぐに気づくはずの夢独特の違和感は一切存在しなかった。私は、それが夢でないことを確信し日常に戻ったのである。それは、今この瞬間の現実と全く同じ状態にあった。あなたがこの本を読んでくださっている今そのものであったのである。そうやって、幾度もの確認をしたのち現実をまざまざと実感している最中、私は目の前の時空にガラスが割れるようにひびが入り、またページがめくられるように時空が剥ぎ取られていくのを目の当たりにすることになったのである。

 あなたもそれを想像することはできる。これを読んでいるまさにこの瞬間、あなたの目の前の空間にひびが入り現実が消え失せていくとイメージしてもらいたい。どんな感じであろうか。それは存在の否定であり限りなく不安定な状況の出現を意味する。エントロピーの増大ということも出来る。この瞬間のあなたが実は夢の産物であったとしたならば、あなたをあなたたらしめているあなたという存在はどこに行ってしまったのか、問わなくてはならない。私はその時に目が覚めた。が、呆然としていたのを昨日のことのように思い出す。それは、人生初めての信じがたい体験であった。現実と信じて疑わない現実が実は夢の産物であったという事実は否定のしようがないほどにリアリティを持ち、強烈な重圧をもって意識がその事実を肯定した。あれは真実以外の何者でもなかった。

 ということは、この現実も夢かもしれないという事になる。いかなるリアルティも我々がそう感じるからと言って何らの実証性を有しているわけではないという事である。夢が現実であったのなら、この現実が夢であるかの蓋然性はゼロではない。それどころかもっとはるかに高い確率かもしれない。あなたも私と同じ夢をもし見ることがあったなら、何の躊躇もなくこのことばを理解するだろう。

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