編集部ブログ
2020.04.25
桜の香り
今年は桜が比較的長く楽しめたのは、暖冬で桜の生育が、枝によって違ったため、開花時期もずれたからだそうです。いまは、ソメイヨシノに代わって、八重桜が目を楽しませてくれます。
森神逍遥先生の『侘び然び幽玄のこころ―西洋哲学を超える上位意識―』には、四季の自然の美しい描写があります。
「第一章 侘び」の中から、「輪廻する四季」の中からご紹介します。少し季節が戻りますが、春のそよ風を感じて頂けたらと思います。
■輪廻する四季
春のそよ風のなんと心地よいことか。満面の笑みを見せつけられる様な山々の色づきに、冬の過ぎ去りしを覚え、一段と増した日の光に心はウキウキしてくるのである。そして花は咲き乱れる。この情景に心踊らない者に「侘び」も「然(さ)び」も「幽玄」も理解は出来ない。
桜の花は特に筆者の心をとらえて離さないものの一つだった。家族とだけでなく、小学生になると一人で誰もいない所にまで見に行ったものだ。そして桜の下で、その心地よい風に当たっていたものだ。
時に弁当を作ってもらい食べることもあった。ただ、一人で行くには一つだけ大きな問題を抱えていた。その丘に辿り着く直前に墓地があったことだ。真っ昼間で天気が良い日はいいのだが、薄曇りだったり肌寒い時は、ちょっと一人では不安になった。しかし、それを凌駕するほどに桜の姿の美しさには惚れ惚れするものがあった。全体を見るのもさることながら、枝についたその一塊の花たちを愛(め)で、嗅ぐのが至福の一時であった。
最近のソメイヨシノからは薫りがすっかり消え失せたが、当時の桜花からは何とも言えない薫りがして幸せにさせられた。そういえば、全ての花屋の花からは匂いがなくなっている。いよいよ日本人はここまで来たかという感慨を持たされるのは、この国の哀れ(あはれ)である。
地面の土の匂い、草の香り、その手触り、さやさやと流れ行く細(ほそ)く薄い風たちの肌を撫ででいくその感触、正に時間が止まったその空間は、何ものにも代え難い瞬間だった。至福のひと時であった。筆者はいまも桜の花を想い描くと自然と微笑がこぼれるのである。