日本の兵隊さんは我々の誇り
日本の領土の一部だった台湾には、当然のことですが、日本軍が駐留していました。
台南には日本陸軍の第二歩兵連隊が駐留しており、そこから朝と晩にラッパが聞こえてきました。同じラッパなのですが、朝の四時か五時頃には、そのラッパが「起きろよ起きろよ皆々起きろ、起きないと班長さんに叱られる」というように聞こえました。夜は「兵隊さんは可哀想に、いつも叱られる」というふうに聞こえたものです。
時々、兵隊さんは町中で予行演習をしたのですが、それが私の家のすぐ近くだったので、窓からよく見えました。
ある日、いつものように演習の様子を窓越しに見ていると、家の前にある鳳凰木の下にいた兵隊さんが、立ち上がって銃を上げようとした拍子に銃を落としてしまいました。それで上官から怒られひどく殴られました。もう鼻血が出るまで殴打されているのです。
私は、その様子を息を殺して覗いていました。子供心にも軍律というのは厳しいということを知ってはいましたが、目の前でその厳しさを見たのは初めてでした。
しかし、銃を落とした兵隊さんは、ビンタを張られても気を付けしたまま敬礼をして「ありがとうございました!」と言うだけです。その敬礼は崩れず、実に格好がいいのです。
厳しさが空気から伝わって来ました。このように、日本兵でだらしのない兵隊は一人も見たことがありませんでした。日本の兵隊さんは潔くて爽やかで、気持ちがいい人たちばかりでした。私たちは、自分の国の兵隊さんはこんなに素晴らしいのだと誇りにしていました。当時、兵隊さんはまさに皆の憧れの的だったのです。
年に何回かある記念日には、兵隊さんの閲兵式がありました。閲兵式の行進の歩調は、イチニ、イチニと時間が刻み込まれたようにピッタリ揃っていてすごいの一言でした。何を見るよりも胸がスカッとしたものです。沿道を埋め尽くした人々が、兵隊さんの行進をみんな固唾を飲んで見とれていました。
当時、次のような歌がありました。
鉄砲担いだ兵隊さん 足並みそろえて歩いてる
トットコトットコ歩いてる
兵隊さんは勇ましい 兵隊さんは大好きだ!
このように、全ての国民の中には兵隊さんの素晴らしいイメージが刻み込まれていました。そして、実際の兵隊さんたちもその通りの素晴らしい人たちでした。軍服には少しの乱れもなく、気持ちがよくて潔く爽やかで、何より子供たちに優しかったのです。 銃剣を持った兵隊さんは行進の時にしか見ませんでした。兵隊さんの銃は敵を撃つものであって自分の同胞を撃つものではないからです。昔の武士が日本刀をやたらと振り回さなかったように、日本の兵隊さんたちにも昔のそういう武士の魂がありました。軍人魂といって悪い者は征伐し、良い者は守るという精神があったのです。
兵隊さんたちは、自分が大日本帝国陸海軍の兵隊であることに対して自負と誇りを持っていたようです。当然のことですが、兵隊さんたちは、お国のために、天皇陛下のためにという意識が強かったように思いました。
私たちは、戦地の兵隊さんのために慰問袋を作ったことがありました。慰問袋には手作りのものを詰めて、手紙を書いて一緒に入れました。その手紙には「兵隊さんお元気ですか。戦地で戦って暑いでしょう。ありがとうございます。無事、武運長久をお祈りします」と書きました。
また、千人針も縫いました。千人針は普通の人は一つだけ縫うのですが、寅年の人は三つ縫うことが出来ました。なぜなら寅は強いからです。相手を取らんということでしょうか。