コラム12 大東亜戦争への道(二)

明治維新を成し遂げた新政府の大きな課題は、旧幕府時代に列国と結んだ不平等条約の改正であった。明治新政府は不平等条約改正と欧米視察のために、岩倉具視を団長とする使節団(岩倉使節団)をつくり、まずアメリカを訪問した。しかし、条約改正どころか、親書を携えていないことを理由に取り合ってさえもらえなかったのである。

欧米と対等の立場になるためには、富国強兵(武力)しかないと悟った使節団一行は、主目的を欧米文明の視察に変え、あらゆる事を貪欲に吸収していった(実際に、不平等条約のうち治外法権の撤廃は日清戦争勝利によって、関税自主権の獲得は日露戦争の勝利によってもたらされた)。

この岩倉使節団一行の洗練された立ち居振る舞いは、海外のどこに行っても賞賛された。彼らは発達した欧米文明に驚きながらも、常に凛として武士や公家の矜持を微塵も失わなかったのだ。

日本は明治維新によって近代国家へと脱皮したが、お隣朝鮮は頑迷に近代化を拒んでいた。これには日本としても他国のことと傍観しているわけにはいかなかった。朝鮮がロシアや他の列強国に取られれば、次は日本の命運が尽きることは地政学上自明の理であったからである。

日本は明治八(一八七五)年の江華島事件をきっかけに、翌年朝鮮との間に「日朝修好条規」を結ぶ。この中で日本は、朝鮮は自主の国で日本と平等の権利があると謳っている。しかし、日本より二十年遅れて開国した朝鮮は政権闘争に明け暮れ、清国を範とする「事大主義」と日本を範とする「開化主義」が反目しあい争いが絶えなかった。

朝鮮を属国とみなす清国は、開化主義者に対する日本の援助を快く思わず、遂に清国は東学党の乱をきっかけに朝鮮に出兵、対する日本も地政学上の生命線である朝鮮から清国を追い払うために出兵したのである。この日清戦争は諸外国の予想に反して、あっけなく日本が勝ってしまった。

この勝利によって日本は清国との間に「下関条約」を結び、清国に朝鮮の独立を認めさせた上、台湾及び澎湖諸島、遼東半島を日本に割譲することを認めさせたのである。


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