国軍を出迎えに

前述したように、私は子供の時、自分は日本人だと固く信じていました。だから悲しかったのです。突然、「君は今日から中国人だ」と言われた時に。私も多くの人と同じように「なぜなんだ!?」と言って泣きました。

私は父に、どうして中国人でなければいけないのかと聞きました。父は返事に窮して「中国人だから中国人だろ…」と口を濁していました。それ以上私も聞きたくありませんでした。

中学校二年生の時、中国から蒋介石の国軍(国府軍、国民党軍)が来るというので、早速歓迎のための中国語の歌を無理矢理練習させられました。しかし、先生も生徒も中国語が全然分からないので、どんな意味の歌を歌っているのか、ちんぷんかんぷんで全く分かりませんでした。ただ、先生の発音を真似して歌っているだけでしたので、私はずいぶん年をとった後も、その歌の内容が分かりませんでした。 国軍歓迎の式典の日、朝八時に駅に集合と言われて行きました。しかし、国軍はいつまで経っても来ませんでした。それで、午後一時に来るから十時に再度集合ということになりました。ところが、十時に行ってみたのですがまだ来ません。そこで、昼食を食べに戻ってまた三時に行きましたが、全然来る様子はありません。更に待つこと二時間、結局来た時には時計の針は五時を指していました。

日本時代は、時間厳守は誰に習ったわけでもなく社会全体の雰囲気でした。その当たり前の生活習慣に慣れていた私たちにとって、これが初めての「中国時間」の洗礼でした。

敗戦でシナ兵(中国の兵隊)が来ると聞いた時は、もちろん不安でした。私たちは『キング』や『少年クラブ』、『幼年クラブ』といった雑誌に出て来るシナ兵のイメージがものすごく強かったのです。シナ兵はまず汚い、風紀が乱れている、ボンボロ担いでこうもり傘を背中に差して裸足、というのを見ていましたから、頭の中で色々と想像を巡らせていました。不安な気持ちで一杯でした。

そういうシナ兵が潜在意識に植え込まれてはいましたが、本当に見た途端に、もうガックリしました。これはヒドイ!と思ったのです。出迎えに来ていたみんながみんな「うわー」と言ったのです。恐ろしい光景に見えました。

それまで日本兵しか見たことのなかった私は、兵隊というものは銃を担いでゲートルを巻いてピシッとしているものだと思っていました。それが、シナ兵は裸足でボロボロの服を着て、天秤棒にドロ靴と鍋と七輪をぶら下げて、こうもり傘を担いでだらだらと歩いていました。

中には手で鼻をかんでいる人や痰を吐いている人もいるし、私は呆れてものが言えませんでした。まるで乞食の行列でした。そんな兵隊を自国の兵隊として認められますか。今、その時のシーンを読者の皆さんの前に展開したらきっと気絶すると思います。

女学校の先生方も口をあんぐり開けていました。台湾人全部が同じ思いだったと言っても過言ではないでしょう。その時はまだ日本人の先生が学校で教えてはいましたが、日本人の先生は出迎えに来ていませんでした。 これからどうするの?と思いました。酷くなるとか酷くならないとか、そんな問題ではないのです。こういう人たちが来て一体どうするのか・・・と。

そして、終戦から約三年間、台湾に住んでいた日本人は非常に気の毒でした。日本に持ち帰れるものは制限されていましたから、自分の持ち物を露天でゴザを敷いて売っているのです。当時は、私もお金は余り使いたくはなかったのですが、それでも気の毒なので買ってあげました。その人たちも住み慣れた台湾を離れたくなかったに決まっています。


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