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2016.03.01
『フィリピン少年が見たカミカゼ』の著者、フィリピンのダニエル・H・ディソン氏が亡くなりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
『フィリピン少年が見たカミカゼ』(2007年10月、桜の花出版刊)の著者であり、本誌収録のイラストも描かれた、ダニエル・H・ディソン氏が昨年12月10日に亡くなりました。5年間の闘病の後、85歳の生涯を全うされました。
ディソン氏は、戦争中、ご自身で体験した日本のフィリピン支配を基礎に、戦後、書物を通じて、当時の歴史を学び、カミカゼや日本精神へ深い理解と尊敬を持って、一生をかけて世界へ伝えようとしてくださった方です。神風特攻隊発祥の地であるマバラカットに記念碑があるのも、ディソン氏の無私の活動があったからです。日本人の恩人であり、今日の日比友好の立役者の一人と言っても過言ではないでしょう。
ご遺族のマヤさん(娘さん)からのメッセージには、「著書を通じて、父のメッセージを世界に伝える機会を得たことに、家族一同大変感謝しています。また、父が、日本とフィリピンの絆を保つために貢献したことを、これからも日本の方々の記憶に留めてほしいと願っています」と書かれていました。ディソン氏が私財を投じて作られた「ディソン・カミカゼ・ミュージアム」は、その意志を継いだ息子さんや娘さんが続けていかれるとのことで、本当に有り難く思います。
忠誠心、規律、愛国心―ディソン氏が見たカミカゼ精神
ディソン氏は、著書の中で、カミカゼの精神を次のように語っています。
「日本は、その(フィリピンを支配していた)たった四年の間にカミカゼ精神をもたらしてくれました。それは、フィリピンにとって最良のものでした。 それは、忠誠心であり、規律であり、愛国心でした。それが、フィリピンが戦争の時代に日本から学ぶべき良い点なのです。カミカゼはアジアの人間であり、ア ジアの英雄でした。何故こんなことを言うかというと、アジアの考え方だけが彼らのことを理解出来るからです。白人達は決してカミカゼのことを理解出来ませ んでした。多くの白人達が私の家を訪ねてきました。私は彼らに何とかしてカミカゼの精神を伝えようとしましたが、彼らはただそれを愚かな行為だとしか思い ませんでした。どうしてあの崇高な精神を愚かだなどと言えるのでしょうか。
しかし、私自身もその精神の全てを理解しているとは思っていません。私が出来るのは、フィリピン人にとって良いものをその中から見出すことです。そ れは、一言でいえば愛国心なのかも知れません。ただ、それは自らを犠牲にしたカミカゼの精神ほど深いものではないでしょう。私はそれを、私達アジア人とし ての正しいアイデンティティを保つために出来得る限りのことをする、ということだと理解しています。」
戦争中、子供だったディソン氏は、アンヘレスの町で、それまで見たことのなかった、鉢巻きをした日本軍の飛行士と出会います。戦後、彼らがカミカゼ だと知ることになります。アンヘレスの隣町マバラカットでカミカゼが生まれたことを書物で知り、自身の経験と一致していることに驚き、ディソン氏は、夢中 になってカミカゼについて調べるようになります。「そして、本の最後で、カミカゼの飛行士達の遺書に行き当たりました。これらの遺書を読むと、私はカミカ ゼのことを記録し残していくために何かしなければいけないと強く思うようになったのでした。」
カミカゼ誕生の地に記念碑を建てたい!
こうして、ディソン氏のたった一人の戦いが始まりました。様々なところで、カミカゼの精神について語ったり、投稿したりしましたが、賛同者もなく、なかなかディソン氏の言葉は受け入れられませんでした。
1973年、マルコス大統領(当時)は、日本からビジネスを招致するため、ケソン州カリラヤに、フィリピン戦線で亡くなった日本人の記念碑建立の許可を与えました。ディソン氏は、この好機に、カミカゼこそが、『大和』の魂そのものなのだ、ここ(マバラカット)にこそ記念碑はあるべきだ、と考え、直ちに観光局に向かい、その思いを話しました。
「カミカゼとは何か、彼らがどういう者達だったのか、彼らが行ったこと、そして、彼らについては残虐な行為を行った記録が一つもないこと、一方で、何故日本軍がフィリピンで残虐行為を行ったのかを説明しました。」こうして1965年から10年近くにわたって、ディソン氏の続けて来た努力と強い思いが、ついに実を結ぶこととなりました。
1974年、かつてのマバラカット東飛行場の跡地に「第二次世界大戦に於て日本神風特別攻撃隊機が最初に飛立った飛行場」という碑文が入った記念碑が建ったのです。
カミカゼ記念碑は世界に友情と親善を広げる拠点に
「そして今、カミカゼ記念碑は私の願い通りに、友情を皆に広げていくための手段となっています。すでに、カミカゼの精神・哲学を敬うことを通して友情は新たに生まれています。恐らく、カミカゼ達の魂はそれを知って喜んでいるでしょう。その友情を発展させて、互いを尊敬しあう国際的な友情・親善とすることをこれからの私は目指しています。また、今後私がいなくなっても、マバラカット氏が私に賛同し、また、私の息子達も私の考えに賛成し私の意志を継いでいってくれると思います。これはとても大切なことです。」と、著書の締めくくりで述べています。
ディソン氏は、現代の日本人よりもよほど深く、カミカゼに代表されるかつての日本人の精神に共感し、敬意をもって世界に伝える活動を続けてきてくださいました。それがいかに日本人にとって有難いことであったか、我々は改めてかみしめるべきでしょう。
私達はディソン氏のメッセー ジをきちんと受け止め、かつて命を懸けて国を守った方々がいた事の意味を真剣に考えて生きる責任があります。
日本の友人であるディソン氏のご冥福を改めてお祈り申し上げます。