はじめに
世界で最も美しく素晴らしい日本に住んでいる皆様は、自分がこの国に生まれ、この国に住んでいる幸せと喜びを先祖に感謝し、無形の神様に畏敬の念を表すことはないでしょうか。
おびただしい星が存在する宇宙の中で、たった一つだけ生物が″生″を営んでいる地球に、私たちは人類の一分子として、多くの異なる国と皮膚の色の違った人種と共存し、生命を継承してきました。そして、凡そその人間と称する者は、自分が生を受けて生まれ育ったその土地を母国と認識し、己が母国を愛し、土地を愛し、母なる国、土地を守ろうとする天性を備えています。
特に皆様は、世界七大強国の一つである、日本国に生まれ育った日本人ですが、日本人に生まれてきた喜びと誇りを持ち、生まれ育った土地、母なる国に感謝したことがあるでしょうか。
人間と称する動物は、往々にして大変我が侭且つ贅沢な者です。最高の幸せの中に置かれても満足を知らずに、日々の生活の中にせっせと不満の元を拾い集め、塊にして他人に投げ付ける者も多いようです。全ては国が悪い、他人が悪い、自分がこうなったのは他の人が悪いのだ…、というような″福の内にありて福知らず″の人間に、では君は悪いと決めつけた相手よりどれぐらい素晴らしい?と尋ねたら、どう返事をするのか興味深いものです。
しかしこんな人間が、私たち台湾に生まれ住んだ人間のように、ある日ある時、今日から日本人でないと言われたら、まごつかないでしょうか。国籍を失った人間となり、見知らぬ所から侵入してきた外来政府に、君たちは中国人になったんだと言われたら、今まで不平不満の塊で文句ばかり並べてきた社会の反逆児は、先ずどう考えるでしょうか? 国籍を無くした人間の惨めさを知らない人たちは、「わぁ、万歳だ」と手を叩いて喜ぶでしょうか?
昭和二十年の八月十五日、日本が第二次世界大戦、つまり大東亜戦争に敗れた年、私たちが住んでいる台湾は、今まで祖国と言ってきた日本国から切り離され、選択の余地無しに中国人にさせられてしまいました。君たちの祖国はこっちだよと言葉に蜜つけて侵入してきた外来政府は、実に天使の面を被った悪魔でした。国籍を失った台湾人は、それから中国人となり、そして中国籍になったその時から、悲惨を極める奈落の底に落とされ、イバラの道に追い込まれてしまいました。
外来政府は、謀反を起こしたという烙印を押し、四十年もの長い年月にわたり″戒厳令″という名目で殺戮を繰り返したのです。台湾全土の人民を震撼させたあの忌まわしい二・二八事件で殺された人の数は、当時の政府の圧力により報道されていません。学生、若者、医者、学識ある者、特に財産を有する者など、死者は三万人にも上ると言われていますが、確実な数字は今でも分からないそうです。因みに当時の台湾の人口は、六百万人でした。
戦争で死んだというなら、国のため、国民のため、とある程度納得ができましょう。しかし、口では「我が同胞」と呼びかけ、国の柱として未来を担う有能な若者、学生に、謀反の罪を着せ銃で撃ち殺してしまうとは、あまりにも惨いことです。
六百万人の台湾人は、国籍の無きが故に父親、兄弟、夫、親友を殺されてしまいました。殺された肉親を目にしても涙を流すことすら許されなかったのです。
今の日本の若者は、他国から統治されたことがなく、裕福で平和な国土で、幸せという座布団にあぐらをかいて過ごしてきたため、これが当たり前だと思っているのではないでしょうか。
でも、幸せは大切にしなければいけません。なぜなら幸せは、国が立派であって初めて得ることが出来るものだからです。国が立派でも、国民の一人一人が立派でなければ、いずれ国は滅びてしまいます。
ですから、若い人たちに呼びかけたいのです。
日本の若者よ、背筋をシャンとしてお立ちなさい。そして自信と誇りをもって前に進みなさい!
私は日本を心の故郷と思っています。そして台湾を愛するのと同じように、心から、祖国・日本に栄えあれと念じています。一世紀の四分の三に手が届こうとしているおばあちゃんの私は、人生行路の最終駅にたどり着く前に、日本の若者が強く大きく大地に立ち、自信一杯、誇り一杯で、お国をリードし、世界の平和を守る姿を見たいと願っております。
私はいつも心の中で叫んでいます。
私を生み育てた二つの母国よ、共に栄えあれ!
平成十五年十一月九日
蓬莱島にて 楊 素秋