日本人将校さんとの出逢い
木陰で改札が始まるまで待つつもりで立っていると、不意に「もし」という声がしました。声の方に顔を向けると、濃紺に近いブルーの制服を着て、帽子をかぶった、いかにもまじめそうな日本の将校さんが目の前に立っていました。
「はい」と返事をすると、「お手洗いに行きたいが何処だか教えてもらえませんか」と大変丁寧で綺麗な言葉遣いで話し掛けられました。「はい、お手洗いなら、ここを真っすぐに行って突き当たりの右手にあります」と、私はお手洗いの方を指さしました。すると、「どうもありがとう。すまないがこの包みを一寸預かってもらえませんか。大切な書類です」と言って、両手で持っていた紫色の風呂敷の包みを差し出したので、私は慌てて両手を出してそれを受け取りました。
「重要書類だから大切に持っていて下さい。そこから動かないで下さいね」と言うや否や、私の「はい」という返事も待たずに、将校さんはくるりと背を向けて大股でお手洗いの方に行ってしまいました。
包みを受けた私は「これは木箱だな」と思いました。四角く大きな包みは見かけによらず軽いので、桐の箱だななどと推理を巡らせ、きっと大切な物に違いないからちゃんと持っていなくてはと思って、両腕に乗せられた包みを指で押さえて、身じろぎもせずに立って待っていました。
やがてその将校さんが戻って来ました。
「やあすまない、ありがとう。で、君はどこに行くの?」
「はい。台南です」
「一人で? こんなに危ない時に何をしに行くの?」
「明日女学校の入学試験があるんです」
「そうか。台南なら僕と同じ汽車だ」
そう話すと、将校さんは自分の手に戻った包みに目をやり、「これは大変重要な書類で、今日の内に基隆に持って行かなくてはいけないのです。しかし高雄で二時間近くも臨時停車して、なかなか動かないので心配しました。この分では基隆に着くのは夕暮れか夜になりそうです」とちょっと心配そうな表情をしました。
将校さんは、帽子が戦闘帽ではなかったので、普通の兵隊さんではないと思いました。高雄から来たのだからきっと海軍か航空隊の方に違いないと思いました。背はそんなに高くはなく、二十歳前くらいの感じでした。
やがて、汽車の給水作業が終わって改札が始まりました。汽車の時刻が狂ったために乗客の数が膨らんで、混雑を極めていました。
私はプラットホームを右往左往して、車両のどこかに入れそうなすき間はないかと、空いている窓からのぞいてみたのですが、中は文字通りすし詰め、通路もギュウギュウ詰めでした。
デッキは尚更ひどい様子でした。積まれた麻袋の上に何人もの人が体を寄せ合って立っていて、開いたままの戸口のステップにまで立っている人がいて、入り口の鉄棒に掴まっている人もいました。「どうしよう」、私は心の中でそうつぶやいて、小走りに車両の中をのぞいて回りました。すると突然、「危ないからこの列車に乗るのはやめなさい。次の列車に乗りなさい」という声がするので、そちらを見ると先の将校さんでした。将校さんはデッキのステップに足を載せ鉄棒に掴まって立っていました。
でも、二、三時間待ってやっと来た列車です。次の列車はいつ来るか分からないのです。「試験に間に合わなかったらどうしよう」と、明日の試験のことで頭の中がいっぱいだった私は、危険を考える余裕がありませんでした。「明日の試験に間に合わない」と声に出すと、急に悲しさが込み上げて来て、それ以上言葉が出なくなり、涙が頬をつたいました。