空襲で遅れた汽車
さて、私は台南までの切符を買い、駅の待合室で汽車を待っていたのですが、待てど暮らせど、汽車はやって来ません。一時間待ち、そして更に一時間が過ぎました。遅れにしてはあまりにも長すぎると、ちょっと心配になってきました。しかし、同じ汽車に乗る人が大勢いるので、とにかく黙って待つことにしました。
その時、駅員のおじさんが待合室に顔を出して、汽車を待っている顔見知りの人に小声で話しかけました。待合室の人たちは皆その話に耳を澄ませました。それによると、汽車は定刻に高雄駅を出発したけれど、間もなく空襲を受けたとか、米軍の飛行機が爆弾を落として死傷者が出たとかで、汽車がかなり遅れてしまっているというのです。
台湾の南部の田舎にも、その頃から空襲の数が増えて、米軍の爆撃機のB-29や戦闘機のP-38が姿を見せるようになっていました。汽車を待つ皆の顔に不安と焦りの色が浮かびました。
しかし、長時間待たされても誰一人、愚痴や不平不満をこぼす人はありませんでした。戦争という国難に直面した時、国民というのは危機感を覚えて、自分を主張したり我が侭を言ったりしなくなるのでしょうか。あるいは台湾南部の人間特有の楽天的な気性で、騒いでも来ない汽車は来ないとすっかり割り切っていたのかもしれません。
普段は閑散として静かな田舎の駅は、汽車が遅れて、上り列車と下り列車の時間が重なり合ってしまったため、汽車を待つ人で溢れ返っていました。
ざわめきと人いきれで息が詰まりそうになり、私は両手に荷物を下げて待合室から外に出ました。しかし、外も人でいっぱいでした。目をやると、ガジュマルの木の下が割合にすいていたので、そこで、ぽつねんと立っていました。頭の中は明日の試験のことでいっぱいでした。
どのくらい経ったでしょうか、ポーと遠くで到着の合図を示す汽車の汽笛が聞こえてきて、待っていた上り線がようやく到着しました。