体に染み込んだ極真の精神
盧山 私が、空手を始めた時には将来道場を経営するなんて思ってもいませんでした。
自分達が四十年前に大山道場に入った時は、そこは一介の町道場でしたし、試合とか大会とかいうものはありませんでした。今の空手を習う人達は、恐らく大会の試合を見て、最初から、いわゆる競技系のチャンピオンになりたいという目的で入るんですが、我々の時代はそういうのがなかったからこそ、純粋な気持ちで空手をとらえることができたと思います。つまり名人、達人になりたいという、自分なりの目標がありました。
-今や伝説になったような人達が当時は本当に沢山いましたね。
盧山 伝説だらけでしたね。あの頃の稽古をこなしたら、当然伝説にもなるでしょう。当時の道場の稽古は、今よりもずーっと厳しかったと思います。一人一人が燃えていましたから。今の生徒達は、今やったことがすぐ成果となって現れないと気が済まない。今やっていることを評価してもらいたいと、絶えず評価してもらえる舞台を求めます。
我々の時代は、舞台も何もありませんでした。
だからこそ、本当の意味で武道、いわゆる空手道の原点に立っていることができたんです。大山総裁が言われていましたが、名前とか地位とか金とか、別にそれが欲しくて空手をやったわけでもありませんし、評価を受けるために空手をやったとしても、そんな評価を受ける所なんかありませんでしたから、自分なりのロマンを追い求めているだけでした。
そういった意味では、我々が一番幸せだったと思います。ですから、そういう流れの中で、身体の中に染み込んだ極真の精神、大山倍達から教えて頂いたこの精神だけは、どんなことがあっても変えたくないんです。世の中の価値観が変わったから、我々の価値観が変わるなどということは、絶対にあり得ないことです。
廣重 私達は、価値が多様化した現在であるからこそ、一つの価値観を我々が求めなくてはいけないと考えています。その価値観を教えていくことこそ我々のやらなくちゃいけない仕事だと思うんです。
盧山 武道の歴史の中でも、百年前と百年後、それからやっぱりその後も、その価値観が変わってしまったら、もうその創始者はいりません。その流派もいりません。新しい流派を自分が名乗らなければならない。
名前を受け継いだというのは、創始者の精神をずっと引き受けたからこそだと思います。