強くなりたい-大山道場へ入門
大山道場は一介の町道場でしたが、その頃に空手をやっている人達が皆、「大山道場の厳しさは半端じゃない。あそこに行けば根性がつく」ということを言っていました。
私は、人一倍強さに対する憧れがありました。私は家庭的に苦しい環境にいて、姉三人の下に生まれた長男という立場で、父親は飲んだくれで、私は父親の愛情というものを知らないで育ちました。
そのためか、私は長男として父親の代わりとなるべく、強い男にならなくてはいけないという気持ちが、小さい頃から自分の心の中で芽生えていたのだと思います。
私が小さい頃は、力道山の空手チョップが大流行していて、街頭テレビは黒山の人だかりでした。私も、空手チョップを見ながら「空手って凄いんだなあ」と思い、私なりに空手に対して、何かとてつもない神秘的な強さというものを思い描いていました。
一人で十人も二十人も倒したり、老人が大男を赤子のようにあしらったり、武器を持った人間を素手だけで何人も倒したり、さらに、三年殺しだとか、五年殺しだとかいう話を聞くと、その強さが神秘そのものに感じられました。
力道山が空手チョップで外人レスラー達を次から次へと倒していましたが、それでも私は、力道山が空手の本当の力を隠しているんだろうと思っていました。本当の空手チョップをやれば、当然相手は死んでしまうから、きっとかなり抑えてやっているんだろうなと思っていたんです。
私自身の強さに対して憧れる気持ち、そして強さを求める中でも空手に対する憧れは非常に強いものだったのだと思います。自分も空手をやれば強い男になれるんだと思い、名人や達人のような強い男になりたいとずっと思っていました。
そんな時に、私の学校の同級生達は和道流の空手をやっていたのですが、「大山道場に行けば、厳しいけれど根性つくし、強くなるぞ」と話していたのです。それで私は、強くなるためには大山道場に行くしかないと思っていました。
そんな頃に、空手をやっているという青年に町で脅かされて、何もできなかったということもあって、どうしても強くなりたいと、そういう気持ちが私を大山道場に向かわせたのだと思います。
それで、ある時に、意を決して立教大学裏の大山道場を目指して行きました。住所を頼りに探したのですが、最初はどこにあるのか全く分かりませんでした。それでもとにかく、あちこちを散々探して回りました。
やっと探し当てた道場は、古いアパートの一番奥にありました。何軒か人が住んでいる部屋の前を通り過ぎて、道場の入り口にやっとたどり着きました。大きさは、せいぜい二、三十坪くらいのところでした。
共同便所が道場の外にあって、水道の蛇口はその便所の前に一つあるだけだったと覚えています。
私が道場の中を覗くと、ちょうど藤平昭雄先輩が指導していました。その時は、「三戦」という型をやっていて、腹の底から息を吐く「息吹」をしていたのですが、それを「一体何をやっているんだ」と思って見ていたことを覚えています。
しかし、その頃全くの素人だった私にも、この道場は凄いところだということは分かりました。空手や格闘技が分からなくても、伝わってくる熱気というのは分かります。それが私にもよく伝わってきました。
そして、昭和三十八年十月、私は大山道場に入門しました。