喧嘩に強くなりたかったら喧嘩をしろ
大山総裁は「喧嘩に強くなりたかったら喧嘩をするしかない」とよく仰っていました。それは私も本当に尤もだと思います。
今にして思えば大山総裁というのは、実証主義という発想でしたね。実際に外国に行って型をやって見せても「何を踊ってるんだ」という話になるわけですから。それで板を割って見せたりプロレスラーと闘ってみないと誰も信用してくれなかったそうです。
総裁と対極にある古流のある先生に聞いた話ですが、昔は、竹を細かく砕いてささらにしたものに貫手の稽古をするんだそうです。それで、血が出て骨が見えるまでやるそうです。「今の若い奴でそんなことやってる奴は誰もいない」と、今の稽古は甘いと怒られました。それで「押忍」と言って、「先生それだけ血が出たらもう稽古出来ないんじゃないですか」と聞くと、「うん、半年ぐらい出来ない」って。
要するに、右の手を潰したら左の手をやって、その次は石をガンガン蹴って右の足を潰す。それで次に、左足を潰す。一周したらまた戻って来るというんです。そんな稽古で、実際の人間を相手に突いたり、蹴ったりするという稽古ではないんです。毎日叩いて、それでただ型をやるだけです。それでまた叩く。人間相手はやらない。確かにそれは凄いと言えば凄いのかもしれません。潰してるから拳ダコは大きいんです。しかし、そういう稽古が果たして、いいのかどうかは、ちょっと疑問です。
半年治らないような怪我をあちこちしていたら自由組手は出来ません。一人でこつこつ型をやるのですが、一人でこつこつ型をやって強かった人という人は物語では読みますが、現実に見たことはありません。
中村日出夫先生はお強いですが、若い頃は闘いの場にしょっちゅう身を置いていました。先生は空手をやりながら、人から頼まれて色々な仕事の顧問をやっていました。
その関係で、パチンコ屋とかをやっている人と地元の暴力団がモメたりすると中村先生が出ていって、全部やっつけていました。問題が起きると中村先生が出て行かれていたようです。
そうするとヤクザも引っ込むわけにはいかないから、新宿で十八人ぐらいに取り囲まれて、喧嘩になったなんて話を聞きました。それでも正当防衛ということで、荒れた時代ということもあるし、相手がヤクザだったということで刑務所に行かないで済んでいたようです。
中村先生に「やっつけた後に、命を狙われなかったですか」と聞くと「いやあ狙われた」という話でした。それで、少しでも向こうが姿を見せると、絶対に逃げないで、逆に相手の方に行って、「俺を襲うんだったらいつでも来いよ」と笑いながら声を掛けると、相手は「いやいやすいません。そんなことしないですよ」と言ったそうです。こっちがこそこそ逃げていると絶対やられます、と仰っていました。結局ヤクザも上部団体でお互いに話し合って、それで、争いごとがなくなったということでした。
中村先生によると、昔は空手の稽古をしている人達は山に入って修行したそうです。それで、修行が終わって山から降りて来る時に、これから修行で山に入ろうというのが何人かいて道ですれ違うのだそうです。向こうから歩いて来て、こっちから歩いて行く。互いに稽古していると分かると、相手を睨んでお互いに回り出して、その場でいきなり野試合になるんだそうです。
で、山に入ると、履いていたわらじを木にチョンチョンとかけて、そのわらじを叩いたりするらしい。山には水も何も持って行かなくて、何日間も草を食べたり蛇を捕って食べたりして、それで稽古をすると聞きました。
ある時、私と盧山先輩が山籠りをすると言ったら、「ああそうか頑張って来なさい」と言って下さいました。ところが民宿に泊ると聞いたら、民宿に泊まるということは修業ではない、とえらく機嫌が悪かったらしいです。
ですから、昔の人でも能書きだけの人と、中村先生のように武道とは何かと真剣に突き詰めていった人とは自ずと違うと思います。
中村先生は、体と心が、技を使う時にどういう働きをすべきか、ということを徹底的に鍛えて行きました。中村先生の話を聞いていると、常人では追求し得ないような所があり、近寄りがたい感じがします。
中村先生には基本的に殺気があるんです。それで、逆に私は先生から「あなたは優しすぎる。人を殺せない、その優しさはあなたの弱さになる」と言われました。恐らく、私が、見性悟道を目標としていて、人を殺せるような人間にならなくてはいけないと思っていないところが、一番のネックなんでしょうね。
澤井先生の意拳の師匠である王○齋老師(一八八六年~一九六三年、形意拳の達人、郭雲深に入門、中国武術の真髄を究めたとされ、後に意拳を創始)も最後まで殺気があったようです。
中村先生はビールとかサイダーの王冠を手刀でピンと飛ばすんです。しかし、手は怪我をしません。生身でやっているのですが、やはり気のエネルギーか何か知らないですけど、何かがある。そうでなかったら、皮をバリッと破って怪我をするはずです。そういう話を聞いて生徒がねだるんです。「先生見せて下さい」と。ところが、先生に「見世物でやってるんじゃない」と、えらく怒られたらしいです。
そのことで一つ話があるんですが、ある時、見せて下さいと言って怒られた生徒が、先生の用事で夏の暑い所を出かけたそうです。その生徒が帰って来て、「押忍、先生帰って来ました」と言うと、先生は「ああ、そうか、お疲れさん、君、じゃあサイダーを飲みなさい」と仰るんです。そうしたら、その生徒はサイダーなんか飲みたくなかったから、「いや、サイダーは飲みたくないです」と答えたら、「ああそうか、分かりました」と、それで終わりになったそうです。
それを見ていた他の人が、「お前馬鹿だな」と、「あれはお前が見たいと言ってたから、お前が夏の暑いさ中に仕事を代わりにやって帰って来たから、そのご褒美にやってやろうと言ったのに、お前馬鹿だな」と。それで、その人が改めて見せてもらったかどうかは聞き逃しました。