良き師に恵まれる
私が盧山先輩の紹介で意拳を習った澤井健一先生(一九〇三~一九八八年、中国で意拳の達人・王○齋に弟子入りし、その後、太気拳を創始する)は、一生懸命やる強い人がお好きでした。正確には、澤井先生の拳法は意拳と言わずに太気拳と言いますが、本書では意拳で統一したいと思います。
当時の澤井先生は誰にでも教えるという事はありませんでした。人を集めて指導するようになってからは来た人を皆入れていたようですが、当時は来た人間に「お前は初段を取ったのか」と聞かれるんです。 「まだ取っていません」と答えると、「剛柔流なら剛柔流でいいから、そこで初段を取ってからいらっしゃい。 極真なら極真で初段を取ったらいらっしゃい」と仰います。「私も歳をとっているから、ある程度のレベルの人間に教えないと、もう初歩から教えるのは大変だよ。根性があるかどうかも分からない。初段を取ったら、それだけ続いたのだから一応の根性もあるだろう」と。流派は全然気にしていませんでした。
澤井先生と私はちょっと似ていると思うところがあります。それは、他の流派をやっていた生徒でも教えるのを苦にしないところです。根本さえ教えればいいのですから、引き手の位置がどうだとか足の運び方がちょっとどうだとかいうことは全然気になりません。
気になる人はもう引き手の位置や足の動かし方が少し違っても気になるようです。型というのは、動作と呼吸が出来ているかということと、その時に筋肉を緩めることと締めることの動作がちゃんと出来ているのかどうかが問題なのであって、それが出来ていれば、その他のことについては大して気になりません。
師匠の運には恵まれていました。その当時、大山総裁に巡り合い、澤井先生がいらして、空手について分からないことがある時は拳道会総帥の中村日出夫先生から色々と話を聞いたりすることが出来ました。 しかし、私は時々訪ねに行くというくらいでしたから、中村先生は私から師匠と呼ばれたら迷惑でしょう。
中村先生のところへは、空手の稽古に行くというよりも、空手のことが分からなくて聞きに行くという具合でした。先生は私が指導方法などで悩んでいた時などに色々な話をして下さいました。正月に年始のご挨拶に行くと、先生は空手の難しい話を沢山して下さるのですが、もう難し過ぎて訳が分かりませんでしたね。
中村先生には独特の空手用語があって、その空手の用語を理解しない人に対してはもう端から「語るに足らん奴だ」という様子でした。空手とは全く関係ない人達にはそれなりに対応するのですが、空手の世界の話では、その用語が何のことなのかさっぱり分からなくて、私はただ「押忍、押忍、そうですか」と聞いているだけでした。
私達が行くと、もう沢山話をされます。延々と話をされていると、盧山先輩がさあっと逃げ出すんです。 「奥さん何か手伝いましょう」とか言って。そうすると残された我々は動くことも出来ずにジッと先生の話を聞いているしかありませんでした。