外国人の空手
私は日本人として、日本の伝統の武道である空手を外国人に誇りたいという気持ちがあります。ですから、そういう空手を作っていかなくてはいけないと思っています。
ヨーロッパのサマーキャンプに行って思うのは、外国人はあっけらかんとして空手をやっていますね。そこには、格闘技はありますが、武道はありません。きちんとした呼吸の仕方、正しい姿勢、正しい筋肉の力の入れ方と抜き方、足の運び、体重のかけ方というものは一切ありません。そこにあるのはあっけらかんとしたぶっ飛ばし合いだけです。
屈託なく、大きな体で上段蹴りとか下段蹴りとかをぶんぶんと振り回しています。試合ということでしたら、あれは強くなりますね。逆に、日本人が空手を格闘技として彼等と同じように「右蹴って、左蹴って」とコンビネーションを追求していったら彼等には絶対に勝てなくなると思います。
日本人の中肉中背は一七五センチメートルぐらいですが、向こうで中肉中背というと、一八五センチぐらいです。日本人で一八五センチは大柄に入り、少し動きが遅いですが、向こうの一八五だったら、飛んで跳ねてと好きなことが出来る。ブラジルのフィリォ選手も外国人の中に入ると大きくないですよ。K-1でも大きい方ではありません。
日本人がヨーロッパに行って武道を教えたら、日本は絶対に勝てなくなります。きちんとした通訳がいて一から教えていけば、探究心の強い彼等は、武道の考え方を理解するでしょう。 「心というものが根本なんだ」ということを教えたら、強くなります。彼等はよくモチベーションと言いますが、モチベーションというのは「やる気」とか「意欲」ということで、心とは少し違います。そこには、武道と格闘技の差があります。その差は通訳がきちんと言葉を伝えられれば教えられるでしょう。
外国人選手が日本に留学に来ますが、私は彼等に武道を教えるほどの英語力がないので、自分達で日本語を勉強しろといいます。その方が武道を学ぶには速いでしょう。しかし、日本では大体英語が通じますから、片言の日本語で済んでしまいます。ですから、空手も表面的な理解で終わるようです。
殴り合って、ただそれで終わりだったら、空手はつまらないものです。やはり、それを通じて自分が飛躍、向上するという過程に至ってこそ意味があると私は思います。魂というものがあって、芋虫が蛹になって蝶になるという過程が、人間にも、死んで霊になるという中であるのではないかと私は思います。
今は、芋虫として生きているのかも知れませんが、やはり、今生まれて、生きて、死んでお終いというよりも、死んだ後に蝶になりたいですよ。そういうものには、生まれ故郷に帰るような何か懐かしい感じがします。そういうものがあるから、帰るための努力というのを自分が今やっているのでしょうか。
まあ、死んで、自分が仏様にならなければこれはどうなるのか分からないものです。