意拳を取り込んだ極真空手
空手も大山総裁や澤井先生、中村先生の時代のように、命を懸けて技の実証ができた時代は達人といわれるような人が生まれました。
しかし、現代のような世の中で極真空手が伸びているのは、世界大会等である程度命懸けのような状況があるからでしょう。
王向齋老師は「剣道には『気』がある。柔道には『気』がない」とおっしゃっていました。
植芝盛平先生の合気道は剣道の武道でしょう。剣を持つのと同じ動きをしますね。合気道も、命を懸けて闘ったのは、植芝先生の弟子の塩田剛三先生までのようですね。武田惣角先生の大東流合気柔術では、先頃亡くなった佐川幸義という人までで、命のやり取りがなくなった後に、そういった方々のレベルに達する人はいないという話を聞いています。
私はそういうレベルを、空手を通して目指したいのです。王向齋老師の境地を目指すのなら、意拳だけをやればいいと言われそうですが、私がやっていた当時、直接打撃制の試合というものがあり、腕を試すのに最高の場が極真だったと私は考えています。
極真は色々なものを全部飲み込んで、どんどん変わっていっています。初めにも述べましたが、極真というのは、外から見たら一つですが、中に入ると支部ごとに違います。例えば極真会館廣重流があり、また極真会館盧山流や、極真会館山田流があるわけです。その中で、切磋琢磨していっているのです。
意拳の人達からも、澤井先生という素晴らしい先生がいるのに、なぜ空手をやるんだと陰で言われました。意拳の技が素晴らしいのに、それを空手に取り入れるなんて不遜なことだと言うわけです。しかし、極真空手はどんどん外のものを取り込んでいく空手です。澤井先生がやろうとしていらしたことの大部分は、今、城南支部に取り込まれています。澤井先生の技、受け方、ものの考え方等、相当色濃く入っています。