少年の日の覚悟 かつて日本人だった台湾少年たちの回想録
(シリーズ日本人の誇り 5)
国とは、戦争とは、人間とは、そして生きるとは何か。古き良き日本時代の台湾で育ったかつての少年兵が「日本へのご恩返しに」と語った、日本の本当の歴史。 少年が向き合った激動の歴史。死をも覚悟した青春の純粋で鮮烈な生き様は、平和しか知らない日本人に歴史と人生の真実を語りかける。
表紙の帯より
平和しか知らないあなたに読んで欲しい!
国とは、戦争とは、人間とは、そして生きるとは何か!
裏表紙より
古き日本時代の台湾で育ったかつての少年兵が「日本へのご恩返しに」と語った、 日本の本当の歴史。
私は歴史の事実を皆さんに伝えてあげたいという気持ちでいっぱいです。本当なら、晩年にこんなに忙しく働かなくてもいいのだけれど、だけど私は、日本人がこういうことがわからないから、だからは私が伝えなければ。私には責任があるわけです。こういう使命が与えられているのです。(本文より)
カバー袖より
大東亜戦争末期の台湾。 日本は苦戦を強いられ、当時日本だった台湾への米軍上陸も間近と予想されていた。 その台湾で、内地の学徒兵と同様、まだあどけなさの残る、15歳、16歳の学生たちが祖国を守ろうと立ち上がった。ある者は志願して、ある者は召集令状を受け取って。 皆が抱いたのは僕たちがやらなければ、誰が国を守るのか!」 という悲しくも強い想いだった。
目次
はじめに
第一部 日本統治時代の語り部として
-蕭錦文氏の証言
総督府で日本語ボランティア
日本は台湾に多大な投資をした
日本軍の台北入城
台湾統治の始まり
児玉総督と後藤長官のコンビ
明石総督のご恩
日本が変えた世界地図
日本軍に志願した理由
志願、そして出征
激戦の跡シンガポールへ上陸
赤道直下での厳しい訓練
英国より優れていた日本の統治
チャンコロと呼ばれて
心に沁みた、上官の看病
ビルマから必死の撤退
赤痢発症
プレンペンで終戦
日本は再び立つ
帰国後の生活も考えてくれた上官
大自然に基づいた人生観
善行には善行の報いがある
日本人の良い点、悪い点
大東亜戦争は侵略ではない
日本が植民地に勇気を与えた
日本の台湾統治は良かった
今後の日本への不安
大和魂の大切さ
政権交代後の総督府
国民党の罠
過去の台湾人の気持ちを知ってください
第二部 私は今でもサムライです
-許江陶氏の証言
私は今でもサムライです
毎日暗唱した軍人勅諭
敗戦。そして、朋友との別れ
戦友たちが私に宛てて書いてくれた寄せ書き
二・二八事件
差別の象徴、「栄民」
蒋介石政府の反日運動
第三部 終戦間際の北京は平和だった
-李延益氏の証言
傀儡政権下の北京
戦火を免れた幸運
北京駐屯時
北京城内の様子
ラッパと共に起きる軍隊生活
軍隊に隠されたエピソード
四大節には赤飯
慰安所に潜入
休日は北京の街へ
盧溝橋事件の現場へ
中国人と日本兵の交流
岸本中隊長への恩
北京で聞いた玉音放送
捕虜監視員との出会い
除隊を決意
北京台湾同郷会に入会
除隊後に過ごした北京と上海
そして、無事台湾へ帰国
国民党員としての戦後
岸本中隊長との戦後の交流
東京での再会
同期の日本人、先生との交流
第四部 十五歳、命の覚悟
-郭鏡川氏の証言
日本への恩返し
高雄が空襲で全壊
禅寺に疎開
自然に芽生えた信仰心
赤紙が来た
召集令状を持って学校へ
第三小隊に配属
五ヵ月間の原始生活
陸軍歩兵の本当の意味
命がけの重労働
部隊の任務
生きる力
生死は一瞬で決まる
不寝番をしながら
他力の力
特攻隊の若者が集ったうどん屋
日本軍の誇り
先取り教育の宮本校長先生
中国人への落胆
戦後の台湾
日本の伝統色の美しさ
自然との調和
運命の場所、寿山
素晴らしい日本の伝統
シリーズ「日本人の誇り」刊行によせて