インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実
(シリーズ日本人の誇り 6)
暗黒のオランダ植民地支配下にあったインドネシアの独立に、大きく貢献したのは日本人だった。日本軍と深くかかわったインドネシアの人々が語る真実。
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内容紹介
オランダの植民地支配による暗黒の時代からインドネシアを抜け出させ、独立を勝ち取るのに大きく貢献したのは日本だった。
戦時中、日本軍と深く関わったインドネシアの人々が語る日本軍政の真実。
☆スカルノ大統領は心から日本人を尊敬なさっていた 第5部:デヴィ夫人の証言より
「まえがき」より抜粋
昭和十六年に大東亜戦争が勃発し、昭和十七年三月、日本軍がインドネシアに上陸すると、これを大歓迎するインドネシアの人々にも助けられ、僅か九日間でオランダ軍を全面降伏させました。
インドネシア人は、自分たちと同じ肌の色で体の小さな日本人が巨体のオランダ人をいとも簡単に撃退するのを目の前で見て、アジア人は白人に劣っておらず、自分たちの手でインドネシアを独立させることは可能なのだと確信したのでした。
その後日本軍は敗戦までの三年半の間、インドネシアに軍政を敷き、オランダ語を禁止してインドネシア語を普及させ、軍事訓練を課し、インドネシア人の軍隊を組織し、教育を施し、組織の運営方法を教えるなど、インドネシア独立の準備を進めました。
日本の敗戦直後の昭和二十年八月十七日にインドネシアは独立宣言をし、再び植民地支配を行おうと戻って来たオランダの軍隊と衝突しました。
この戦いに二千人もの元日本兵らが参加しました。その多くが戦いの最前線に立って経験の浅いインドネシア軍を指揮したために、その約半数が亡くなったと言われています。
そして昭和二十四年十一月、オランダはインドネシアの再植民地化をあきらめ、インドネシアはついに完全独立を果たしました。(中略)
本書は、戦時中に日本軍と深く関わったインドネシアの方々に、日本軍の真実の姿を語って頂いたものです。その話の中には、時には日本人に耳の痛いものもあります。例えば、日本兵はインドネシア人を過酷に扱ったということもありました。
しかしそれは、世界情勢的にも圧倒的劣勢だった日本が欧米列強に伍して勝ち抜くためには厳しくやらなければならなかったからでした。
このようなことがあっても、彼らは一様に日本軍の行ったことに感謝の意を示してくれています。それは、当時のインドネシアにいた日本人たちが、人間として当然の欠点を持ちながら、インドネシア人をアジアの同胞として接し、インドネシアの独立を実現させようと真摯に取り組んでいたからではないでしょうか。
それは、かつてアジアの国々において植民地支配をしていた白人のアジア人に対する態度とは全く異なったものです。
本書には、かつての日本人の理想に燃え、使命をひたすらに遂行していった姿が描かれています。
本書を手に取られた方々がその姿、つまり何故私たち日本人が大東亜戦争を戦ったのかという意味を今一度思い返して頂ければと弊社一同願っております。
また、それが、日本が再びと誇りを取り戻し、凛とした国となるためのほんの僅かな一助ともなれば、この上もない喜びです。
目次
はじめに
第一部 私は今でも親日家です
-ユスフ・ロノディプロ氏の体験
第一章 誇りを持てなかったオランダの植民地時代
自分を向上させる機会がなかった
犬とインドネシア人の立ち入りを禁止
オランダ人の下で働きたくなかった
第二章 戦時中に見た日本人たち
日本への期待と現実
日本軍のラジオ放送局へ
放送局で出会ったよき軍人たち
日本時代で良かったこと、悪かったこと
憲兵隊によって秩序が保たれた
独立宣言文を密かにラジオ放送する
放送局に乗り込んできた憲兵に殺されかかる
今でも日本に対して親しみを持っている
第三章 インドネシア独立のための戦い
スカルノと寺内寿一元帥との会談
独立宣言までのいきさつ
十万人以上のインドネシア人による独立集会
オランダとの戦争が近づく
「ボイス・オブ・フリー・インドネシア」を放送し続ける
独立戦争、ついにオランダとの協定が成立する
アジアは劣っていないと日本に教えられた
日本がいなければ独立までに百年かかった
第二部 日本軍との出逢いと私の人生
-ハッサン・ラハヤ氏の体験
第一章 オランダ支配下の子供時代
豊かな村の豊かな家に生まれる
小学校とイスラム教学校に通う
「オランダの奴隷になってはいけない」
解放への理念と父の決断
教師になる夢の実現を目指して上京
第二章 日本の兵隊さんたちとの出逢い
戦前の日本に対するインドネシア人の思い
ついにオランダが追い出された
オランダの宣伝で日本軍を恐れる
日本の兵隊さんたちと家族のようなつきあい
「やっぱり日本人はいいねぇ」
第三章 日本語を習い軍政監部へ
日本語講習会に通い始める
教育に力を入れた軍政監部
軍政監部の人事課で働く
片岡先生の家に住み込んで勉強する
日本軍は「イスラム教にも理解があった
片岡先生の講義を通訳する
緊張した三好中佐との視察旅行
日本軍がインドネシア語を普及させた
「インドネシアは必ず独立するよ」
日本の軍政時代で辛かったこと
日本がいなければインドネシアの独立はできなかった
第四章 南方特別留学生として日本に渡る
南方特別留学生に推薦してもらう
東京での留学生たちの生活
広島文理科大学へ進学する
第五章 広島で被爆する
隣組の花岡さんとの付き合い
突然、原爆の衝撃を受ける
広島が砂漠になった
八月十五日の玉音放送、そしてインドネシア独立宣言
敗戦の混乱の中を東京へ戻る
第六章 戦後再び大学へ進学する
GHQで働き始める
慶應義塾大学へ入学する
卒業後、ビジネスの勉強のために大阪へ
第七章 帰国後インドネシアと日本の懸け橋に
七年ぶりにインドネシアに帰国
メッカ巡礼で母への親孝行を果たす
妻のこと
日本との親善に努め、大学を設立する
戦後、日本人は変わった
努力が認めらて、天皇陛下から勲章を賜る
第八章 アジアの解放は日本によってもたらせれた
日本の敗戦はやむを得ない
インドネシア人の決意が独立を護り通した
独立戦争に貢献した日本人と日本の武器
アジアの解放は日本によってもたらされた
第三部 日本軍政下で愛国心を育てた
-プロボ・スウォンド氏の体験
最下等だったインドネシア人の地位
オランダ学校入学のための語学訓練
オランダ人と同じようにして育つ
日本軍の上陸をとても恐れた
インドネシア人としての目覚め
自分の国とは一体どこなのか
日露戦争に勝利した日本を模範とする
自分の国を護るためにPETAに入隊する
日本軍から護り受けた武器で独立戦争を戦う
「日本人は必ず戻ってくる」
オランダ人の凋落を目の当たりにした
戦争には良い面と悪い面の両方がある
第四部 日本軍の占領は幸福だった
-スリオ・ウィリオハディプトロ氏の体験
オランダ学校で高等教育を受ける
生活に不自由はなかったが誇りもなかった
白人は自分達よりも優れていると考えていた
日本軍の厳しい扱いに恐れを感じる
PETAでの厳しい訓練で肉体と精神を鍛えられる
武器を得るために日本軍を攻撃した
日本に占領されたのは幸運だった
第五部 スカルノ大統領は日本人を尊敬していた
-ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ氏の証言
第一章 スカルノ大統領の語る日本軍の素晴らしさ
マッカーサーは真の勝利者だった
スカルノ大統領は心から日本人を尊敬なさっていた
大統領から聞いた植民地時代の苦しさ
大統領は日本の歴史をよくご存じだった
第二章 日本人は誇りを取り戻さなければいけない
たった一回の戦争で腰抜けになる必要はない
中・韓に過激なマスコミたち
靖国を護らなければ日本は終わりだ若者よ、靖国に行きなさい
シリーズ「日本人の誇り」刊行によせて