内地人と台湾人の亀裂
大学の三年に上がると、臨床医学の実習が始まりました。このため、病院の方に学生控え室が設置されてありました。控え室は二間あったのですが、自然と台湾人と内地人とに分かれてしまったのです。なぜそうなったのかは分からないのですが、自然にそうなってしまったのです。台湾人の控え室の方には内地人はあまり入らない。内地人の控え室の方には、台湾人はあまり行かないのです。
私だけが両方を行ったり来たりしていましたから、台湾人から一時「お前は内地人かぶれの、こうもりか」と言われたこともあります。私は、感情だけで、こういう自分の身にとって役に立たないことをするのは良くない、あまり露骨に反抗したり抵抗したりするのは良くない、という考え方を持っていましたから。
大学生ともなると、二十歳も越えていますから、やはり自分のアイデンティティというか、民族的な意識が出てきていたのでしょう。特に、高等教育を受けると、台湾人の方には、何となく民族意識が芽生えてきて、自分達のことを「フォル(フォルモサ〈ポルトガル語で麗しの島の意〉のフォル)」と呼び、内地人のこと「ジャップ」と呼んでいました。