思想の統制が厳しくなる

医学部では、昭和十八年(一九四三)頃から、学生課長として配任になった憲兵の予備少尉が、特に台湾人学生に対して目を光らせていました。

卒業前の年、昭和十九(一九四四)年に、医学部在学の台湾人学生の検挙があり、反戦思想の疑いのある数名の学生が憲兵隊に連行されました。

生活改善部とか生活指導部とかいうのがあり、学生課長などが目を光らせているところで、学生大会といって討論会をやるのです。出るように言われて、私も出席したことがありますが、討論会の題が、「天皇制についてどう思うか」とか「台湾における皇民化運動についてどう考えるか」など難題ばかりで、何も言えないのです。

ですから、私は一回も発言したことはありません。喋りたい心は沢山あります。でも、言えない。言いたい事を言えば、引っ掛かるから、結局、何も言えずに黙ってしまうのです。それ以外に方法はありませんでした。

私の上のクラスの台湾人で、こんなことを言った人がいました。「皇民化運動というのは、私の考えでは、内地人が台湾人を引っ張って、日本人に同化する運動ではなく、内地人も努力し、台湾人も努力して、お互いに一段上で融和して立派な台湾を作る。これが皇民化運動だ」と。苦し紛れに、そう言ったらしい。私はその場で聞いていました。翌日、憲兵隊が入って連れていかれました。その人は終戦まで締められて、八月十五日に釈放されたのです。つまり、皇民化運動というのは、一方的に引っ張っていくものなのです。台湾人には、頭から台湾人という意識をなくさせ、完全な日本人にするための運動なのです。つまり、それが軍部の考え方だったのです。

天皇制についての座談会の時は、やはり台湾人の学生が、「天皇は神様みたいで神様じゃないけど、とにかく我々は尊敬しないといけない」とか何とか、適当にお茶を濁すような発言をしました。そうしたら、すぐに憲兵隊が入ったのです。天皇は、神のようだけど神じゃない、と言ったところが恐らくいけなかったのでしょう。あの時は、天皇陛下は神様でしたから。

それから、お目付役がスパイを使って、台湾人学生が日頃どういう行動をして、どういう話をしたか、いちいち報告していました。それで結局、私が三年の時に、四年と三年の学生で、憲兵隊に連れていかれたのが五人ぐらいいました。拷問を食らって、ぶん殴られて、水を飲まされて、エビみたいに吊されて竹刀で叩かれて、八月十五日に釈放になりました。中で拷問で死んだ人も一人います。

死んだ人は、国民党政府が来た時に、忠烈祠に祀られました。反日の義士だとかいうのです。実際には義士でも何でもありません。これは国民党の宣伝に利用されたに過ぎません。

彼らが憲兵隊に連れて行かれた容疑は、重慶政府(国民党政府)と通じたというスパイの容疑。それから反日本政府という容疑でした。あの時、大学で北京語を教えていた支那人の先生の教え子達は、特に狙われました。この先生も重慶政府のスパイという疑いがかけられて、捕まりました。これが、軍隊が幅を利かせていた時の被害です。

私など、何も喋らず、慎ましい態度で小さくなっていましたので、睨まれる方ではありませんでした。 努めて内地人と接触して、「お互いにコミュニケーションをやろう」と、やっていましたから、皆からは「こいつはちょっと異分子だな」と思われていたことでしょう。


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