軍部の台頭と締め付け

私の実感では、昭和十(一九三五)年辺りを境に、だんだんと軍部の締め付けが厳しくなってきたと思います。台湾でも「内台融和」のスローガンが「皇民化運動」に変わっていきました。

まず、昭和十二(一九三七)年に、国語常用家庭制度が出来ました。国語、つまり日本語を常用している家庭は、審査に通ると「国語常用家庭」という標識を家の前に掲げて、様々な特権を得るようになりました。当時は、次第に配給制度になりつつある頃でしたから、配給などで日本人と同様に優遇されたのです。

その後、昭和十五(一九四〇)年には、改姓名運動が始まりました。

私の家も国語常用家庭でした。さらにその後、改姓名も行い、表向きは日本人と何ら変わりなく、毎日を過ごしていました。

改姓名は強制ではありません。しかし、改姓名をすればやはり利益があるから、皆、行うのです。

というのは、改姓名して日本名を名乗ると、配給物が日本人と同じになるのです。改姓名しない者の配給物は違うわけです。例えば、砂糖は、台湾人には黒砂糖、日本人には白砂糖が配給されます。豚肉は、台湾人には脂身で、日本人には赤身、という具合です。「台湾人はカボチャと芋を食え」ということで、台湾人にはカボチャと芋ばかり。葉物の野菜などは日本人優先でした。ただ、それは仕方がないことではありました。

国語常用家庭で改姓名をすれば、完全な日本人だというのです。そうなると、配給も何もかも全て内地の日本人と同じ扱いでした。ただ、台湾人の中でもインテリで最後まで頑張って名前を変えなかった人もいます。「あなたはどうして名前を改めないのか」と聞くと「先祖からもらった名前を変えるわけにはいかない。それは祖先に反することだ」と話していました。こういう人も確かにいて、改姓名しなかったからといって、罰則があったわけでもありませんでした。

私の家は開けていましたから、さっさと改めました。昭和十五(一九四〇)年に日本政府の許可が出てすぐです。私が高等学校二年生の時のことでした。

改姓名をした時の、面白いエピソードがあります。どういう名前にするか色々と悩んだ末に、父が「秋元」という名前を考え出しました。祖父の名前が柯秋潔でしたから、秋の時代に元を発したという意味です。

私がもらった名前は「秋元良一」。良い日本人になる長男という意味で、そうつけたようです。祖父は、「秋元教道」です。自分で「私は教師をずっとやってきたから、教道でいいよ」と言ったのです。

そういう具合にして、面白く名前をつけたようです。祖父は自分の妻には「経子」と付けました。仏教のお経ばかりあげていたからだそうです。私の母は裁縫が好きなので「絹子」でした。考えたものです。

そういう具合にして、一家全員が名前を変えました。私の父は「弘義」です。字画も数えてつけたということでした。

初めは「秋元」という姓ではなくて、「高林」にしようかなどと話していました。「高」は高砂で台湾島のこと、「林」は士林の林というわけです。しかし、高林はどうも発音がよくないということで、日本に高林という姓があるかどうかを調べました。するとどうもないようでした。平林ならありますが、高林はないのです。

それで父が「いっそのこと、あなたの名前を使って、秋元にしたらどうでしょうか」と言い、祖父も「それも一理ある」と二人で決めたようです。


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