日本人による統治

台湾割譲で日本が台湾にやって来た時のことは、祖母や祖父からよく聞かされました。日本軍は、澳底から上陸して、三貂嶺を越えて、基隆の方へ出て、台北の城へ入ってきたのです。

上陸の知らせがあり、台北を通って士林あたりにも来るらしいという噂が流れて、皆、怖れをなして逃げ、さとうきび畑や檳榔樹の林の中に隠れました。当時は、台北と士林街とを隔てている淡水河にはまだ橋がありませんでしたから、台北との行き来は渡し船でした。日本軍が船で渡れば、その知らせが来ることになっていました。皆、いつ来るか、いつ来るかと緊張していたということです。台湾の歴史は、外敵の度重なる侵略の歴史で、この日本上陸も、また蛮人が攻めてきたと考えていたのです。「日本人が来た」「日本の野蛮人だ」というわけです。日本兵は乱暴をするという噂が広まっていました。

祖母は子供と一緒にさとうきび畑の中に潜んでいたそうです。子供が声を立てはしないかとはらはらしていたと聞きます。その子供というのは父の姉で、後には日本の憲兵にずいぶんと可愛がられたのですが、七、八歳で早世してしまったということです。隣近所の奥さんの中には、子供が泣き声を立てたので絞め殺してしまったという人もいたそうです。それほど日本兵が怖かったのです。

しかし実際は、そんなことはありませんでした。極めて平和的に日本の統治は始まったのです。

日本軍が無血上陸を遂げた後、台湾側からも大した抵抗はありませんでした。日本側も、恐らく教えを広めるというようなつもりでやってきているのですから、抵抗に遭うとは考えていなかったでしょう。台北に入る時も、全く抵抗はなく無血開城でした。ただ、その後台湾全土を制圧するまでには各地で抗日闘争があり、日本軍も苦労しました。

私達の住んでいた士林には、日本時代に土匪と言われた人達、つまり流れ者達がいましたから、その人達が策動して、「日本は怖い」と言いふらしたのではないか、と私は推測しています。

結局、日本兵が乱暴をはたらいたり、殺戮や掠奪をするなどということはない、ということは、すぐに分かりました。


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