敗戦と台湾独立
日本が負けた後、アジアの各地で独立の動きがありました。台湾でも、九月二十日までトーチカを作り、台湾が独立するしないで揉めていました。台湾の知識層や支配層が、日本軍の将校達と協力して台湾を独立させようとしたのです。いわゆる八・一五独立運動です。同年兵達の間でも、独立の気運が高まっていました。
しかし、当時の総督だった安藤利吉が反対しました。義理の兄がそのいきさつを本に書いています。憲兵だった私の義兄は、軍関係者に呼ばれ、どうすべきかと尋ねられ「戦争はやめた方がいい」と進言したそうです。結局、独立の動きはそこで立ち消えになりました。
その独立の動きに連座した罪で、日本時代に台湾屈指の大地主で政商となった辜顕栄さんの息子である辜振甫さんと、許炳さんの二人が逮捕されました。人生とは分からないもので、彼らは豚箱に入っていたために、その後に起きた二・二八事件の時に命拾いをすることになりました。そうでなかったら殺されていたに違いありません。
今だから言えることですが、台湾があの時、独立していれば、戦後の苦しみはなかったでしょう。でも、あまりにも、日本がおとなし過ぎました。
台湾を放棄せずに、ずっと守っていたら、蒋介石など来てはいませんでしたよ。インドネシアのように日本軍の協力があったら、独立も出来たかもしれません。日本は確かにアメリカには負けましたけれど、大陸では全然負けていなかったのですから。
最後の頃は皆、玉砕で、上の方の人も指揮系統などもどうなっていたのか。皆、自分が死んで責任をとれば、それで良いと思っていたのでしょうか。
でも、そのお陰で六百万人の台湾人は、やって来た中国人に酷い目に遭わされたのです。日本軍には残って台湾を守って欲しかったと思います。
しかし、まあ、これは後の歴史を見た今だから言えることです。当時としては、そういう気持ちはありません。日本人は引き揚げざるを得ないのだろうと思っていました。