優等生の転校生
二年生のまだ始めに、親父の仕事の関係で台南へ引っ越したので、学校も末廣公学校という所に変わりました。環境もクラスメートもガラッと違いました。嘉義と台南では町の雰囲気も違うし、人も違う。台南の方が古くて大きい町です。台南は、府城と呼ばれ、台湾の最も古い都です。台北が首都になるまでは、ずっと台南が首都だったので、府城の人だということで、人々もプライドが高いというか、傲慢なところがあるのです。私は訛りがあるから、すぐにおまえは府城の人じゃないと言われてしまうわけです。
転校したばかりの頃には、学校でいじめられました。クラスのガキ大将みたいな子に、ぶん殴られたこともあります。家に帰って、いじめられたことを親父に話したら、親父が出ていって、いじめた子の家に行き、たしなめたそうです。その後は、もういじめはなくなりましたけれどね。
ガキ大将にしてみれば、いくらか育ちのいい、勉強もできる子が転校してきたとなれば、やっぱりまあ、ちょっと面白くなかったのでしょう。
私は勉強は良く出来ました。学年一良く出来て、先生からも可愛がられましたけれど、いつも副級長でした。転校生だから気兼ねして、級長はいつも別の子に譲っていたのです。仕方ないと、諦めていましたよ。
それでも、いろんな行事の時の学校代表は、いつも私が指名されて大役を果たしたものです。例えば、十月二十八日の台南神社への玉串奉納。これは、明治天皇の弟である北白川宮能久親王の御霊をお祀りする、大切な行事です。日清戦争に出征し台湾を平定されたものの明治二十八(一八九五)年十月二十八日に台南で疫病のため亡くなった方です。六年生の時、今の孔子廟の裏にある台南神社に、全校生徒三百名の代表として、私が玉串を奉納しました。
私は、その頃から、落ち着いていて、どこか腹が据わっているところがあったので、そういう緊張する場面でも、慌てないところを買われたようですね。代表として奥殿まで行っての玉串奉納ですから、誰だって緊張します。やっぱり度胸がないと駄目ですよ。