アウシュビッツに十字架を掲げるべきか-調査の出発点
ジェームズ・キャロルは、もし、キリスト教の教えが現在のものとは違う方向に進んだとしたら、それはユダヤ人にとってより良いものとなった可能性があり、また、さらに悪いものとなった可能性もあったとしています。
さて、ナチスが建設したアウシュビッツ強制収容所に十字架を掲げるべきかどうかという論争があります。キャロルは、この論争が、『コンスタンティヌスの剣』を執筆する発端となったと話しています。
そして、彼は様々な理由から、十字架を掲げるのがよいと考えました。そこで、教会の教えがヨーロッパのキリスト教徒のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)という行為に貢献した可能性があったか、ということについて彼は調査を始めました。
人々は、ホロコーストの原因が全て教会にあるとは思っておらず、せいぜいそのうちの一因に過ぎないと考えています。
しかし事実を言えば、教会の教えの多くが、ユダヤ人に対する暴力は許されるものであるという結論に自然と導いていくものだったのでした。そして、それらの教えはユダヤ人とは劣った人間であり、敬意を表する必要もないとしましたが、結局、それらは間違いであることが分かりました。
このキャロルの本は大変興味深く、人々が違う選択をすることによって、歴史は違ったものになったかも知れないということを示し、そして、コンスタンティヌスのユダヤ人とユダヤ教に対する否定的な教えが、いかに後の時代の、ユダヤ人を可能な限り抹殺すべきだという社会的雰囲気を導いていったかを示しています。
つまり、ユダヤ人に対する暴力が行われる以前に、ユダヤ人は邪悪だという考えが広まっており、その準備は出来ていたのでした。