重い責任を負うが故に特別な民族
神との特別な関係を持つことの出来る、宝のように大切にされたユダヤ人は祭司の王国を作る聖なる人々となるべき民族なのです。つまり、古代の祭司のように他の人々の見本となるべきであるということです。
古代の祭司というのは、その社会で高い地位を占め、またそのために、いろいろと厳しい規則を守らなければなりませんでした。
また、彼らは儀式においては清らかさを保たなければいけません。一方、一般の人々はこのような制限を負う必要はありません。
これと同じように、ユダヤ人は自分達のことをある種の特別な先生であり、神の御教えを他の人々に伝える媒介者であり、神の御前において、それについての大きな責任を負っていると考えています。
紀元前八世紀に活躍したアモスという預言者が、このことをはっきりと述べています。このころのイスラエルは北イスラエル王国と南ユダ王国に分かれていましたが、アモスはこの両方で神の教えを説いていました。
聖書の中の「アモス書」第一章三~五節に次のようにあります。
主はこう言われる。
ダマスコの三つの罪、四つの罪のゆえに
わたしは決して赦さない。
彼らが鉄の打穀板を用い
ギレアドを踏みにじったからだ。
わたしはハザエルの宮殿に火を放つ。
火はベン・ハダドの城郭をなめ尽くす。
わたしはダマスコ城門のかんぬきを砕き
ビクアド・アベン(悪の谷)から支配者を
ベト・エデン(快楽の家)から
王笏を持つ者を断つ。
アラムの民はキルの地に捕らえられて行くと
主は言われる。
(以下、同様にガザ、ティルス、エドム、アンモン等の民について同様に「三つの罪、四つの罪ゆえに私は決して赦さない・・・」と続く)
さて、アモスは北イスラエル王国と南ユダ王国以外の民についても話していることから、ユダヤ人の預言者であるだけでなく、他の民の預言者でもあったということが分かります。
そして、ユダヤ以外の民について、神は三つの罪ならば寛大にお赦しになるが、四つ目の罪を犯したならば、激しくお怒りになり、お前達を罰する、とアモスは語っています。
一方、イスラエルの民については、「アモス書」の続き(第三章一節)に次のように書かれています。
イスラエルの人々よ
主がお前たちに告げられた言葉を聞け。
-わたしがエジプトの地から導き上った
全部族に対して-
地上の全部族の中からわたしが選んだのは
お前たちだけだ。
それゆえ、わたしはお前たちを
すべての罪ゆえに罰する。
この一節からも、神とユダヤ人には特別な関係があるということが分かります。
神は私達に『トーラー』をお与えになり、そのために、ユダヤ人が犯した罪の全てに対し責任を持っておられるというのです。
さらに、神とユダヤ人との特別な関係というのは、それを英語では「選ばれた人」という聖書にはない言い方をしますが、それは何か生まれながらに持つ特権というものではなく、重い責任を負っているが故の特権なのだということが分かります。
そして、その責任を果たせなければ、ユダヤ人は神から罰せられるのです。
さて「アモス書」の最後の章である第九章(七節)に、次のようにあります。
イスラエルの人々よ。
わたしにとってお前たちは
クシュの人々と変わりがないではないかと
主は言われる。
これは、神はイスラエルだけの神ではなく、全ての人の神であるということを意味しています。
ですから、ユダヤ人でも、もし神がお与えになった『トーラー』を学ぶことや、それに従った生活をせず、また、他の人々の見本とならないのならば、他の民と同様に見なされるということです。