ユダヤ教は全ての人は平等であると説く
ユダヤ教では、全ての人々は一人の神によって平等に創造されており、私達は皆、神の子供であるとしています。
私達が全員、一人の神による被造物であるということにより、私達の間に友愛の関係が作り出されました。私達一人一人に違いはありますが、神の被造物であることにおいては、皆同じであり、全ての民族や人に、神の御加護があるのです。ですから、それがユダヤ人のみに与えられているということはありません。
また、神の大いなる智慧により、私達は皆、最初の一組の男女から作り出されたとラビは説いています。その男女は、聖書(ヘブライ聖書、『旧約聖書』)の中でアダムとイブと呼ばれています。つまり、全ての人が同じ祖先につながっているのです。
ですから、「自分の祖先はあなたの祖先より優れている」とか、「私は主人に値し、お前には奴隷がふさわしい。何故ならば、私の祖先は真に最初の家族の出身であり、お前の祖先は三番目の家族の出身であるからである」などということは言えません。
ところで、聖書において、「神は男と女を特別な被造物として創造された」とあることを、ユダヤ教では強調しています。このことから、神は男性でもなく、女性でもない、つまり神には性というものがないと想像されます。
言語によっては、「神」という語を男性名詞とし、「彼」とお呼びすることもあります。ユダヤ教でも何世代にも亘って神を「彼」とお呼びしてきましたが、今日、使われている祈祷書などの文では、そのような代名詞は用いずに、「神」とか「主」という言葉を繰り返して用いて、中性的になるようにし、神に性があるような印象を与えないようにしています。
ユダヤ教では男女は平等であると説いていますが、実際のところは、現在に到るまでに、男性優位の社会や女性優位の社会、また、家長制などが存在してきました。しかし、今日では女性解放運動もあり、女性がもっと平等に扱われることを主張しています。