帰らざる日本人 台湾人として世界史から見ても日本の台湾統治は政策として上々だったと思います
シリーズ日本人の誇り 2
日本の台湾統治は、当時、西欧列強が行なっていた植民地的感覚の統治とは全く違って、国を治めるというような腹太い政策でやっていたのです・・・。終戦まで日本人として生きた「帰らざる日本人」の告白。
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表紙の帯より
戦後、日本人が帰国してしまっても、台湾に残った私のような日本語族を、「帰らざる日本人」と人は呼びます。
今の日本人は台湾のことを知りません。台湾が昔日本だったことも、領台の50年、偉大な明治の先人達が苦労して台湾を近代化したことも全て忘れています。私達のような元日本人が台湾にいるということも、皆知らないのです。教育が忘れさせているのです。私は、むしろ終戦後になって日本時代の良かったことが身に沁みたという感じです。
そして時代が変わって、苦しい環境になった時に、初めて日本時代に受けた教育が発揮出来たわけです。それから感謝するようになりました。戦後のあの忌まわしい二・二八事件で、中国人の本性をまざまざと見せつけられ、私たちはこの戦後やってきた中国人とは違うのだ、自分たちの精神の基盤は日本精神なのだ、と明確に意識するようになったのです。
出版社からのコメント
私達が、祖父母や両親からきちんと語ってもらうことの出来なかった戦前、戦中、そして戦争直後のことを、日本時代を経験された台湾の「日本語族」の方々に語って頂いたものです。
当時を知る方は、ますますご高齢になり、数少なくなっています。 弊社では、より一層努力して、一日も早くこうした方々から生の声をお伺いし、日台の絆をより深めるためにも、より沢山の方に読んで頂けるよう、頑張っていきたいと思っております。
目次
第一章 日本統治時代の台湾に生まれて
お気の毒な日本人
日本時代は台湾の礎
南部の都市・嘉義
嘉南大圳の恩恵
父と母のこと
土匪と間違って殺された祖父
大掃除の日
暮らしの中の日本
第二章 素晴らしかった日本教育
公学校へ上がって
優等生の転校生
学校の勉強
大切だった読み方の授業
大好きな唱歌
生きていた教育勅語の精神
歴史教育
修学旅行で見た総督府
神棚と信仰
愛情深かった先生
威厳があった先生
穏やかだった社会
台北工業学校を受験
工業学校での新生活
規律正しい団体生活
僚友の思い出
父の言葉
父の死
改姓名
同化政策
嫌われた先生
工業学校で得た精神と技術
修養と公の精神
第三章 戦争の時代に生きて
日米開戦
出征軍人と南京陥落
建設会社に就職
二人の上司
海軍志願兵制度
出征
海兵団での訓練
工作兵としての訓練
海軍生活
従軍慰安婦と南京虐殺の真っ赤な嘘
台湾沖航空戦
兵舎での共同生活
負けを覚悟していた海軍兵
生死を共にする戦友
設営部隊へ
お国のために散った特攻隊員
立派な日本兵
終戦
第四章 戦後の混乱
敗戦と台湾独立
除隊
台北へ
法治国家の崩壊
台湾の悲劇
日本人の帰還
身を助けた技術と知識
聖書を支えに
二・二八事件
嘉義での虐殺
白色テロ
建築士として
言葉が交わって
心の糧となった読書
厳戒令解除と李登輝前総統
第五章 日本よ、再び立て
日本時代の遺産
台湾の中の日本
台湾発展の基礎
日本人はもっとしっかりしなさい
大東亜戦争の功罪
戦争の真実
特攻の精神と靖国神社
公徳心が日本を再生させる
日本の技術力を支えるもの
転機に立つ日本
第六章 台湾人として
一番の親日国
新しい日台関係を
台湾のアイデンティティ
天佑台湾にあり
台湾の未来
人生の最期を迎える時
台湾地図
コラム1 八田興一の嘉南大?
コラム2 後藤新平
コラム3 阿里山の林業と河合?太郎
コラム4 井沢修二と六十先生
コラム5 皇民化運動と改姓名
コラム6 ABCD包囲網
コラム7 南京大虐殺はなかった
コラム8 磯永吉と末永仁の蓬莱米
コラム9 大東亜戦争は「自衛戦争」
コラム10 義愛公 森川清治郎巡査